最近の世の中を観ていて、私自身のこの文章を思い出しました。
7年前に出版した私の法律本『この本を読んであなたの人生を逞しく生きてほしい』にも載せています。
なにしろ、世の中には目に見える「事実」と目に見えない「真実」があるということ。
そして、最近は頭がいいはずの政官財の人々や学者なども、「真実」の追求をしないということ。
その典型は、「令和の米騒動」ですね。誰も「真実」を追求(原因を究明)していません。やればできることをしないのです。このAI時代に米騒動の真実がわからないはずはないのですから!
「事実と真実」
Q 「この世で一番人の嘘を聞かされているのは裁判官だ、と聞いたことがあるのですが、それって本当ですか?」
A 確かに私も、とある裁判官がそう言っていたのを聞いたことがありますね。民事裁判に限って考えても、原告・被告双方の主張がまるで違う事は日常茶飯事ですからね。ということは、やっぱりどちらかが嘘を言っているわけですよね。
ところで、私たち法律家が訴状や準備書面を作るとき、「意見」や「気持ち」を書くのでなく「事実」を書かなければなりません。しかし、この「事実」が、「真実」だとは限らないのです。
「事実」とは、あくまでも「発生した現象」の事をいうのであって、当事者が「こういうことが起きました。」と言ったにすぎないのです。そして、それが「真実」なのか「虚偽」なのかを「事実認定」し「法律判断」するのが裁判官なのです。
私自身、これまでに経験した数々の裁判の中には、勝訴・敗訴にかかわらず、未だに「真実」がわからない事件も数件あります。
特に民事裁判は、警察・検察が強制捜査するわけでもなく、「弁論主義」といって裁判官は当事者の主張立証に委ね、裁判官自ら職権証拠調べするわけでもないのです。
ただし、私たち法律家には、「客観義務」「真実義務」「誠実義務」などが課せられていますので、私も「嘘をついてでも自分の依頼者を勝たせよう。」などという執務はしません。自分の依頼者との面談の中で、「そのお話しのどこが真実でどこが真実でないのか。」をシビアに見極めながら聴き取りをしていくのです。そして、より真実に近い事実を訴状等に書いていくのです。それが、結果的により有利な解決へと導くのです。
さて、「真実」と「虚偽」は、全く相容れないものでしょうか。「真実」でもあり「虚偽」でもあるということはないでしょうか。人間社会で日常起きている「事実」は、見る角度・見る人・見る立場などによって、見え方が違うことが多いものです。同じ「事実」が、○に見えたり□に見えたりするのです。だから、「真実」が一つではないということもあるのです。また、仮に「虚偽」の主張であっても、見間違い・記憶違い・記憶の変化・過大過少表現などなど、ご本人はいたって善意なケースも多いのです。だから、私たちがその知識と経験を駆使してより「真実」に近い「事実」に迫るための聴き取りをしていくのです。そうすることで、「依頼者納得度ほぼ100%」を目指すのです。
posted by maruta at 23:41|
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