帝国書院の中学歴史教科書に「佐賀の乱(佐賀戦争)」と初めて併記されることになったそうです。
明治政府が挑発した部分も相当あり、むしろ自衛のための戦いだったと捉え直す取り組みが反映されました。
単なる不平士族の反乱ではなく、日本の民主主義の発展の一過程と捉え直す歴史学の潮流も意識されたようです。
ちなみに、「西南戦争」も戦前までは「西南の役」と呼ばれていました。
司馬遼太郎の『歳月』においても、明治政府の挑発の要素を感じますよね。
私は大久保利通が江藤新平を相当恐れていたんだと思っています。
ちなみに明治5年、江藤新平が明治新政府の初代司法卿だったときに制定された「司法職務定制」の第10章に「証書人・代書人・代言人職制」が定められました。現在の「公証人・司法書士・弁護士」です。
江藤新平は司法書士等の生みの親とも言えますね。司法書士の皆さんには『歳月』は読んでいただきたいです。
